一人でもんじゃ焼き

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最近、店でもんじゃ焼きを始めた。

バーでもんじゃ?

最初は自分でも、
ちょっと変かなと思っていた。

大きな鉄板を囲むわけでもない。
みんなでヘラを持って、
ワイワイ焼くわけでもない。

小さな器に盛って、
小さな炎で温めながら、
酒と一緒にちびちび食べる。

ところが、これが意外と受けている。

なんでだろう?

そんなことを考えていて、
ふと気がついた。

一人で食べられるからかもしれない。

もんじゃ焼きって、
なんとなく誰かと食べる料理だ。

「今日は一人でもんじゃを食べに行こう」

そう思う人は、
案外少ないのかもしれない。

でもバーなら、
一人でカウンターに座って、
酒を飲みながら、
もんじゃをつついていても不思議じゃない。

誰かと囲む料理を、
一人でも楽しめる料理にする。

そんなこと、
作った時には考えていなかった。

商売を長くやっていても、
お客さんに教えてもらうことはまだまだある。

料理って、
味だけじゃないんだな。

どうやって食べるかも、料理の一部なのかもしれない。

今夜もカウンターの片隅で、
小さなボイラーに火が灯る。

一人分のもんじゃを、
ゆっくり温めながら。

大人になると、魔法の仕組みが見えてしまう

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大人になると、魔法の仕組みが見えてしまう

若い頃は、知らないことがたくさんあった。

ジェットコースターに乗れば、ただ怖くて、ただ楽しかった。

ディズニーランドに行けば、そこは本当に夢の国だった。

サンタクロースだって、どこかにいるような気がしていた。

でも大人になると、

少しずつ仕組みが見えてくる。

乗り物がどう動いているのか。

夢の国の裏側で、誰が働いているのか。

プレゼントを枕元に置いていたのは誰だったのか。

便利になったのかもしれない。

賢くなったのかもしれない。

でも、そのぶん、

少しだけ魔法が減っていく。

歳を重ねるというのは、

先のことが見えるようになることなのかもしれない。

昔なら考えなかったことだ。

だからこそ最近思う。

全部の仕組みを知る必要なんて、

ないのかもしれない。

ディズニーランドは、

地下の電線で動いているんじゃなくて、

魔法で動いている。

そのくらいでいい。

大人になって現実が見えるようになっても、

少しくらい夢を残しておいた方がいい。

カウンターの向こうで、

そんな話を聞きながら思った。

歳を取るというのは、

魔法がなくなることじゃない。

魔法だと分かっていて、

それでも信じてみることなのかもしれない。

1万ポイントでやめる

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先日、カウンターで酒の話をしていたら、

面白い飲酒量の計算方法を教えてもらった。

酒の量に、アルコール度数を掛ける。

たとえば、
40度のウイスキーを45ml飲んだら、

40 × 45 = 1800ポイント。

ワインを一本飲むと、
だいたい1万ポイントくらいになる。

もちろん、
医学的な基準でもなんでもない。

その人なりの、
酔い方を測るための物差しだ。

でも、話を聞いていて
これはなかなか面白いなと思った。

何ポイントくらいなら気分よく飲めて、
どこを超えると記憶が怪しくなるのか。

自分の経験と数字を重ねていけば、

「今日はこの辺でやめておこう」

という目安にはなる。

酒は不思議なもので、
飲んでいる最中は、
もう少し飲めそうな気がする。

でも本当に大切なのは、
どこまで飲めるかではなく、

どこでやめるか。

もし自分の「ちょうどいい」が
1万ポイントなら、

1万を超えることより、
1万でやめられることの方がいい。

カウンターでは、
たまにこんな面白い物差しを
教えてもらうことがある。

因みにそのお客さんは30000ポイント飲み干して、千鳥足で帰って行った。

 

必要じゃないもの

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店を作っていると、

たまに「それ、何に使うんですか?」と聞かれる。

古いメーター。
真鍮のバルブ。
歯車。
意味もなく伸びている配管。

考えてみれば、酒を飲むためには
どれも必要ない。

でも、見つけると欲しくなる。

古びた真鍮の色だったり、
妙に重そうな鉄の塊だったり、
ピカピカ光る金属だったり。

「何に使えるか」は、あとから考える。

たぶん最初にあるのは、

「なんか、これいいな」

それだけなんだと思う。

必要なものだけで店を作っていたら、
きっと、どこにでもある店になっていた。

役に立たないものを面白がって、
ひとつ、またひとつと集めてきた。

気がつけば、それがこの店の景色になっていた。

店の個性って、案外、
必要じゃないものから生まれるのかもしれない。

お盆の夜

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お盆になると、

亡くなった人のことを少し思い出す。

ご先祖様なんていうと、
ずいぶん遠い存在のように聞こえるけれど、

父や母、そのまた父や母。

そうやって辿っていけば、
誰か一人欠けても、
今の自分はいない。

普段はそんなこと、
ほとんど考えずに暮らしている。

店を開けて、
お客さんと話して、
一日が終わっていく。

でも、お盆くらいは少し立ち止まって、

ここにいること。
今日も店の灯りをつけられること。
誰かと笑って酒を飲めること。

そんな当たり前のことに、
感謝してもいいのかもしれない。

お盆は、
亡くなった人を想うだけではなく、

今ここにいる自分が、
たくさんの命の続きにいることを思い出す時間。

今夜はグラスをひとつ磨きながら、

「ありがとう」

と、心の中で言ってみようと思う。

【お盆の夜のカウンター風景】

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お盆の夜。

カウンターでは、ウイスキーを飲みながら、昔の藤が丘や旅の記憶、香りの話が静かに続いていた。

町の店は減り、夜の明かりも少なくなった。

それでも、ここに明かりがついていると、誰かがふらりと入ってくる。

1999年、世紀末に始めた店も27年目。

お盆は、懐かしい人だけでなく、忘れていた記憶も帰ってくる夜なのかもしれない。

もんじゃ焼き

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新装置、稼働開始。

BREEZE SURFERSがつくると、
もんじゃ焼きはボイラーになる。

熱々の鉄鍋でグツグツ。
とろけたチーズと香ばしいお焦げを、
ステンレスのヘラでガリガリと。

ビールにも、ウイスキーにも合う
BREEZE SURFERS式・酒場のもんじゃ。

「ボイラーもんじゃ」¥900

― 高圧蒸気、発生中。―

※取っ手も熱くなっています。
酔っていても、そこだけはお忘れなく。

「なくなった店の名前」

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藤が丘の昔の店の話になった夜がある。

ミスタードーナツがあった。

ケンタッキーがあった。

ポポラマーマがあった。

フレッシュネスバーガーがあった。

スターバックスも、マクドナルドも、

そして、コロラド、パチンコ屋

マザーズ

それぞれの場所にそれぞれの時間があった。

でも不思議なもので、

人は地図よりも、

なくなった店の名前で街を覚えている。

「あそこ、昔ミスドだったよね」

その一言で、

その頃の空気まで少し戻ってくる。

店はなくなっても、

そこで過ごした時間までは消えない。

藤が丘も少しずつ変わっていく。

建物が建て替わり、

人の流れが変わり、

昔の店の看板はもう残っていない。

それでも、

カウンターで誰かが名前を出すと、

その店は一瞬だけ戻ってくる。

街の記憶は、

案外しぶとい。

なくなった店の名前をつまみに、

今夜も一杯飲めるくらいには。

19,600通りの、その先にあるもの

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「この店には、どれくらいのお酒があるんですか?」

たまにそんな質問をいただく。

仮に50種類のお酒があるとしよう。

その中から3種類を選んでカクテルを作るだけでも、組み合わせは 19,600通りになる。

4種類なら23万通りを超え、5種類なら200万通り以上。

数字だけ見れば、一生かかっても試しきれない数だ。

でも、不思議なことに、私がカウンターで考えているのは、その19,600通りではない。

目の前のお客様が今日はどんな一日を過ごしてきたのか。

静かに飲みたい夜なのか。

少しだけ背中を押してほしい夜なのか。

誰かを思い出している夜なのか。

選ぶのは、お酒ではなく、その人に合う一杯。

組み合わせは無限にあっても、その夜、その人にとっての「正解」は、きっと一つしかない。

だから私は今日も、19,600通りの中から探しているわけではない。

目の前のお客様のための、たった一杯を探している。